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「アフリカ大地のパワー@ヌアディブINモーリタニア」

西アフリカの入り口、モーリタニアの「ヌアディブ」
アラブとブラックアフリカンの中継地点「モーリタニア」は、砂しかない国とモロッコ人に言われている。
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「ヌアディブ」
町を歩くと、砂漠の民特有の布で顔を覆い隠したイスラム共和国モーリタニア女性、青や白のブボーをヒラヒラさc0158636_21193948.jpgせた、ムササビみたいなモーリタニア男性。
そしてブラックアフリカンは、体のラインが強調されるようなピチピチ衣装。鮮やかな布を鶏冠のように頭に巻いたセネガル女性、Tシャツにジーンズ姿のセネガル男性。
もしかしたら此処「ヌアディブ」は、モーリタニア人よりもセネガル人の方が多いのかもしれない。
どちらの人種もフレンドリー。モーリタニア人はさらに距離感が心地よく、当たりが優しく穏和。町を歩いていても治安は良い。笑顔が返ってくる。
中国製品商店もあった。久しぶりに漢字製品を見て、中国の旅を思い出しアジアが懐かしく感じた。ここの中国人達もフレンドリーだった。
町では中国人に間違えられることが殆どだが、スペイン人にも間違えられることもあった。

宿「AUBERGE SAHARA」(ツイン:5000UMウギア=1260円)キッチンも使えて、ホットシャワー共同、テラスがある快適な安宿。
ここまでサハラを越えて辿り着いた旅人同士の共通の何かが、より旅人同士を繋げる。
集う旅人は、個性派ぞろいで濃すぎる。ピースフルマインドなアフリカの安宿。いろんな現地人が出入りするので、盗難があったと西洋人が言っていた。
フランス人にとってのモーリタニアは、日本人にバックパッカーにとってのラオスと言ったところかな。ゆっくりとした時間のラオス。でもここはメコン河もなく、乾燥しきっているよ。
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そんなモーリタニアの初日。
外出するには気合がいるほど太陽の光が強い時間帯、停電になり水道水がでなくなった頃、どこかから早いリズムの太鼓の音が聞こえてくる。
昼1時の一番暑い時間だが、音のする方へ出かけてみる。
この宿の周りは、セネガル人のバラックだ。
音のする方は、アスファルトが無く砂漠のサラサラした砂の道。靴の中に暖かい砂が入ってくる。
経済的には、全く豊かでないエリア。音がしてなかったら、近づく事はなかっただろうエリア。
コンクリートで出来た小さな家、拾ったような木材の家、トタンの屋根、砂に埋もれているゴミ、メ~メ~ヤギさん。
その先に人だかり見える。
「あそこで何やっているの?」
「子供が生まれたお祝いの祭りだよ」

めでたい席だ。少し覗かせてもらおう。
暑い日差しを遮るビニールテントには、眩しいくらいに着飾った女性達、化粧も髪形も派手派手。男性達も民族衣装を着飾っている。
まるで雌鳥が挑発をしているかのような頭飾りの鶏冠や奇抜い化粧のセネガル人。基本どすこいなおばさん達。
誰の子供が生まれたのかわからないくらい人が集まっていて、バラック住民一同でお祝いする、村社会的なお祝い行事。
もちろんその横では、ビックママたちがデッカイ鍋の炊き出しの料理を混ぜている。
みんなで踊り、みんなで食べて、みんなで笑い、みんなで祝う。シンプルでわかりやすいほどハッピー。
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c0158636_21303342.jpgトーキングドラム、小さな太鼓(ジャンベでは無い)とMCが一定のリズムを刻む。セネガルのリズムだそうだ。
その音楽を煽るように、バンドの前へ出て行って女性達がスカートの裾を捲くり上げながら腰を振り、大地を強く踏んでダンスダンス!
力強い躍動感溢れるダンス。ダイナミックで美しくてパワフルで細胞が沸き立つ。
ダンサーが強い目つきで客人を見る、するとその人が「よっしゃ!」と言わんばかりに前に出て一緒に踊りだす。
やはりデカイお尻がすべてのようで。素晴らしい腰つきのドデカイお尻が揺れる時はみんなの表情が変わる。そのお尻を崇める人も出てくる。
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近くにいたおばちゃんに「カメラ、フォト、OK?」と聞いてみる。もちろんOKだと。
何ならアンタも前に出て踊りなよ!って。
でも無理やりなべたついた印象や愛嬌は無くて、踊りたければ踊れば良いのよって感じで、アグレッシブで開放的。
女性がとにかく強い!
写真を撮ってと言ってくる子供達も礼儀が良く程度をわきまえている。というかママ達に叱られるのが怖い。
他人の子供も自分の子供、みんなで育て、みんなが育つ。
さすがママ~ アフリカ 懐デカイぞ此処は!
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モーリタニア初日にいきなり、西アフリカで見たかった大地のダンス。
もっと奥地の村などへ行かないと見れないのかと思っていたドローカルの祭りに、国境の町で出会えた。

今、深夜0時過ぎたけど、まだ外から太鼓や人々の声が鳴り止まず盛り上がりが聞こえてくる。
パワフルだよ。

初日でコレ。


セネガル人の元傭兵59歳にも出会った。
彼は子供7人の家族と離れて、車の修理工としてモーリタニアへ出稼ぎに来ている。
少しの食事をして夜になったら寝る。そしてまた朝から働く、それだけだが俺はハッピーな人生だと語り始めた。
手のひらまで真っ黒のブラックアフリカンの痩せてて一見フットワーク軽そうなおじさん。
若い頃は軍隊として、レバノン、コンゴ、アンゴラへ働きに行っていたと。
「人を殺してはいけない。俺は人が死ぬ姿を沢山見てきた。兄弟や仲間達は、地雷を踏んで一瞬で死んでいったよ。」
「生きているなら萎縮していては何も始まらないよ。心を広げ、人と出会い、話をし、一緒に楽しむ事。これがアフリカの旅だよ。」
「国籍なんて関係ないよ。人々は一つ。神は一つだよ。」

6年前にジャマイカのビーチで出会ったラスタマンが、打ち寄せる波も気にせずにいきなり語り始めた。
「海は国境ではないよ。海の下で大地はすべて繋がっているんだ。地球は一つだよ。」この時の出会いを思い出す。


アフリカの偉大なメッセージ。
大きな時間が流れている。

2011年3月9日~
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by laidbacktrip | 2011-03-27 20:32 | モーリタニア

「モロッコ~モーリタニア。西サハラ越え最後のヒッチハイク」

ネットもTVもラジオも無いモーリタニアの町で、地元民からの知らせで日本の事を知りました。
あれから我が家は、まだ日本人に一度も会っていません。
遠い国で我が家2人で考え、昨日から旅ブログを再開することにしました。
少ないネット環境とフランス語のTVのニュースを見て、日本の今を勉強しています。
出来ることなら、友人や家族と話し合ったり笑い合ったり、ヨーガしたりして、緊張をほぐし合いたい。
しかし、西アフリカの旅は続いています。
不謹慎と言われるかもしれませんが、その模様をUPしていきます。
少しでも旅気分と、いつもの調子のズッコ家を味わっていただけたら幸いです。
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モロッコとモーリタニアの国境に隔てる西サハラを越える車(ヒッチハイク)を探すために、西サハラ越えベテラン旅人が集うと言われるキャンプ場「MUSSAFIR」に朝9時にやって来た。
早速、モロッコ人のセダンが今から西サハラを越えて、モーリタニアの「ヌアディブ」へ向かうので調度2人乗せてくれると言う。
しかし、昨日ここまで来るのにナポリ出身のモロッコ人の車に乗って、イケイケなドライビングと選曲に疲れていた&第3カ国者の同条件の旅人の方が国境越えにスムーズだろうと判断し、貴重な1台かもしれないがお断りし、一晩このキャンプ場に泊まることにした。きっとそのうち見つかるうだろうと。。。
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実際、6日間連日でヒッチハイク詰めだった。
これから西サハラを越える骨休めに相応しく、エメラルドグリーンの海に囲まれた、時が止まったようなのんび~りとした「ダフラ」はモロッコ最終章の最南の地。
嘗てここは「漁師」と「旅人」の町と称されていただけあって(マラケシュは「旅行者」の町と称されていた)、人々のオープンマインドな笑顔がこの乾いた土地での緊張感とヒッチハイク疲れを解してくれた。

このキャンプ場のオーナーも素晴らしい人柄で、友人への結婚祝いムービー製作にも協力してくれた。(写真:モロッコ南部、砂漠の民の正装)c0158636_03656100.jpg

そんなこんなで、久しぶりにゆっくりとした1日を過ごしたその夜には、モーリタニアまで乗せてくれる車が贅沢にも4台も見つかった。
昨日までは、「サハラを越える車なんて、そんな簡単に見つけられるのだろうか?」と思いながらの6日間のヒッチハイク業だったのに、
今では4台の内どれにしようか?と選べる側になっている。
オーナーの配慮や西洋人ベテラン旅人の心遣いに感謝の夜だった。
しかし、あえて我が家は選ばずに明朝に導かれた車に乗ることにした。

そして朝、自分達なりのペースで起き、MSRのガスバーナーでコーヒーを入れ、前日買っておいたパイ(フランス領土だったため、この類のレベルは高い)を食べて、身支度。
気持ち的に「さぁ行こう」という気になった時、タイミングが合ったフランス人3人組で2台の車を所有している彼らにヒッチハイクを依頼し、乗せてもらう事になった。
彼らの車だったら楽しいだろうな~と思っていたら、やはりな結果。そしてこんなに贅沢な環境のヒッチハイクは初めてだった。

フランスの田舎出身の激ユルなフレンチ3人組。西アフリカはフランス語圏、フランス人旅人は多く、やはり現場に強いし、相手も慣れているのでポリスチェックもユルかった。

1台はワゴン。もう1台のセダンに乗せてもらい、地雷原のサバンナに敷かれたまっすぐなアスファルトを爆走、流れる壮大な青い海と黄い砂の景色から美しすぎて眼が放せない。
モロッコ~モーリタニア国境まで約400kmの砂漠サバンナは、道中WIFI付きのレストラン&ホテル、ガソリンスタンドの立派な建物が一件だけだがあり、CTMバスも国境で見かけた。
もうじきこのルートに、バスが開通するとの噂は聞いていたが、これは「ダクラ」から「国境」までバスが開通したということなんだろうか?
西サハラ越えが壮絶でスペクタクルなアドベンチャーと言うのは、もう昔話の事なんだろうな~。
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そしてモロッコ出国時、パスポートに押されているモロッコのスタンプナンバーが一致しないと言われる。
「知らんよぉ~そんなこっちゃ。ジブラルタル海峡の船で押したんだよ。」
よくあることなのか、出国管理員も余裕の笑顔。
「じゃあ 一桁足しておくね」とボールペンで「1」を付け足して「ハイ出国OK!」
ええっ?ボールペンで書き足しただけ、スタンプナンバーが一致したの??

モロッコ国境とモーリタニア国境の間1kmは、アスファルトも無く、錆びきった車の部品やゴミが散らかった無法地帯、砂漠地帯。
今まで爆走していたフレンチ車も恐る恐る減速、砂山凸凹アドベンチャーロード。
これがモーリタニアかと思っていたら、国境を越えたらちゃんとアスファルトの道があって一安心。
この無法地帯だけが、昔から残る西サハラルートの面影なんだろうな~。

モロッコを出国した後、この面影ルートでブボー(モーリタニアの民族衣装、ダボダボのポンチョみたいな布)を着たモーリタニア人が、何やらフレンチ3人組に話しかけていた。
この2台の車は、いつかアフリカの旅中に売るんだろうとは思っていたが、この国境の間の無法地帯。
砂漠の起伏でちょうど両国の出入国管理所から見えないところで売買の交渉が始まった。
ただでさえ、初めての西アフリカ。。。
こんなところで車を売り払ったら、モーリタニアに入国出来なくなるんじゃないか?
もしかしたらこれは1700年代の奴隷商人がまだこの地に残っているんじゃなか?など勘繰りすぎて緊張した。
映画に入り込んだようなアフリカ国境での一コマ。
次の展開が全く読めない状況下に、腹を括れない小心者な我が家。
しかも、買手の用意した車(フロントガラスが割れているベンツ)に乗り換え、ドライバーがモーリタニア人に変わった。
そして、そのままモーリタニアに入国し、ここから「ヌアクショット」まで50km行くとの事。
我が家はそんな車に便乗している肩身の狭いヒッチハイカー。フランス語圏のアジア人。大丈夫だろうか?
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モーリタニアの入国審査は、外貨申告などで2,3時間かかるとの前情報だったが、何故か外貨申告も無く、職業を聞かれ、軽い荷物検査でスムーズな入国だった。
このフレンチ3人組は、西サハラ越えベテラン。そして今乗っている車を運転しているのはモーリタニア人。
結果的には、彼らの車と一緒に入国したのが功を奏した。

モロッコとの経済力の違いが歴然とわかる町の規模、道や商店のボロい「ヌアディブ」
メインの道以外は砂の道。農村など無い、緑が無い、砂だけだがのどかな雰囲気。
ヨーロッパやモロッコの様に、路上のオープンカフェなども無い。小さな商店や家が砂漠のオアシスに片寄せあって町を形成している。
オアシスと言っても木など生えてない。荒涼とした大地。
どこか西チベットを思い出すような、見たことのあるような景色と生活レベルなのだが、今まで旅したどこの地でもない。
いっきに黒人の数が増えた。道行く人はアフリカ人だ。西アフリカに来た。
今、アフリカの大地に立ったんだ!
後頭部が長く、髪はチリチリで結ってあり、鮮やかな色彩の布を着ている。
勝手な偏見で、威圧的でジロジロ見られるのではないかと萎縮していたが、国境付近の町にありがちな殺伐感も治安の悪さも「ヌアディブ」では感じない。
その国の先入観は、極一部の情報で作られるイメージなんだと何度もいろんな国で体験していたけど、西アフリカもその一つ、いい意味で裏切られた素敵な国。
太陽のようで強くて美しい眼と砂漠のように広い心、大空のように輝く笑顔。
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アフリカの大きな空に色濃く沈む真っ赤な夕焼け、裸足で駆け回る子供達。
ママ~ アフリカ~な 旅の幕開け。

2011年3月8日


追伸:皆様のコメントが旅の歩を進め彩っております。いつもありがとう!
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by laidbacktrip | 2011-03-27 00:46 | モーリタニア

「西アフリカでの、ある日の出来事。」

色鮮やかな衣装の黒人のみしかもういない。
セネガルのサンルイ島。
この島から外れたローカルエリアを歩いていたら、前から一人のセネガル人がフランス語で話しかけてきた。

「ジャポネ?」(日本人?)

こんな観光エリアでもないところで、いきなり声をかけられ戸惑う我が家。

「日本の津波のニュースを知っているかい?本当に気の毒だと思い、心を痛めているよ。僕にも津波の経験があって、凄く痛みがわかるんだ。
平和な日常が戻るように心から応援とお祈りをしているよ。」
と言うような感じで、通りすがりのセネガル人は、真剣に眼を見つめながらフランス語でこんなような事を言ってきた。

難しいフランス語は理解できなかったが、言葉を越えた理解があった。

こんなに遠い西の果てのアフリカ人が、日本の事を自分の身のように心配してくれている。

我が家も、セネガルの小さな安食堂のTVから日本の津波や原発のニュースを幾度と無く見て、遠い国にいる自分達の遣る瀬無さに心を痛めていたところだった。

愛を持って日本を見てくれている人が世界中にいる。
それだけでも、幸せなことなんじゃないかと、
この一瞬の出会い、砂埃だらけのセネガルの道端で、思わずボ~っと立ちすくみ、嬉しくて涙がこぼれそうだった。

道や食堂で出会うセネガル人たちも、マリ人もモーリタニア人も、「ジャポネ?」と聞いてきて、同情心と神への祈りを示してくれる。
モーリタニアもマリの国境の役人も、ポリスチェックでパスポートを提出したときには、ジャポネは大丈夫か?とみんな心配してくれた。(セネガル役人は別。)


この3年3ヶ月間の旅で出会った、多くのいろんな国の人々から、励ましや安否確認の暖かいメールがた~くさん届いている。

日本がこれまでに世界中に広げていた平和の活動が、今、旅で出会う世界中の人々からの恩恵でヒシヒシと感じる。

日本ありがとう。
日本は、世界にいろんな気づきを示すことのできる小さな島の大きな日の出づる国。
どうか、被災地の方々や国民の方々が、穏やかな日常に戻られますように。
すべての思考は結果を呼び寄せる。
素晴らしい心根で、暖かい眼で、自然と宇宙を感じ取り、
何が大切で何が大切ではないかと考え、少しの気づきから行動し、地球全体が平和と調和の日々へ。


我が家の旅は、まだまだ継続していきます。
これが我が家の日々変化しつづける日常。


さて、
モロッコの西サハラをヒッチハイクで越えて、モーリタニアへ入り、西アフリカ突入。ブラックアフリカンなセネガルから灼熱のマリへと移動して来ています。
今、マリの首都バマコでアメリカ人&ギニア人カップルのお宅にホームステイ中です。
有難い事にネット環境が良いので、またブログやメールなどを更新送信していこうと思います。
世界の果てでのずっこ家旅模様が、少しでもみなさまの安堵となれば幸いです。



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by laidbacktrip | 2011-03-25 20:22 | セネガル

「ほぼヒッチ@西サハラ爆走中」

西洋人ツーリストが集う快適な「エッサヴィラ」から、アーモンドの花祭りが行われる「タフロウト」へ。
途中「ティズニット」で1泊しながら、西サハラが近づいてきた太陽の強い光と色鮮やかな女性の民族衣装。
素朴な人々、子供達は「ハロ~」ではなく、「ボンジュ~ル」と好奇心と警戒心で遠くから声をかけてくる。
保守的な印象。顔までスッポリと隠している女性が多い。
「ティズニット」は、フランス人リタイア組の避寒客や移住者が多いと、モロッコ人曰く。
ここまで4台の車をヒッチハイク。フランス人夫婦~モロッコ人~イタリア人青年3人組~モロッコ人ビジネスマン。どの人も感じが良いし、路上での「親指P」も2分と上げてなくスムーズ。


そして踊りと歌が夜通し行われる「アーモンド祭り@タフロウト」
3週間前に日程を現地へ電話確認して、西サハラ縦走ルートから少し東へ寄り道。
「ティズニット」~「タフロウト」約110km。バス3h、CTM30DH。グランタクシー2h、37.5DH。←言い値。
我が家はヒッチ。いつもどおり町の外れまで歩き、そこからスタート。
モロッコ人の車を2台つなぎ、途中の村まで、
そこからは、ほとんどフランスナンバーのキャンピングカーかグランタクシー、もしくは満席の地元車しか通らない。。。ヒッチするような車が無い。。。
道端で日向ぼっこしているモロッコ人のおじさんに声をかけられ、隣に座りお喋り、タクシーを斡旋、
そのまま念願のアーモンド祭り「タフロウト」へ。
キャンプ場でテントを張るが、そんなことしているのは我が家だけ。
周りはドデカイ、キャンピングカー。ざ~っと見渡して100台くらい(笑
これは、祭り効果か?
しかし、当日になっても祭りは開催されなかった。
エジプトリビア、チュニジアのイスラム圏のデモが影響して、先週モロッコでも各地で小さい規模だがデモがあった。「ダクラ」の音楽祭が中止になったばかりだ。
やっぱり中止だったか。

「タフロウト」も標高1200mの乾いた山に椰子の木と低木、岩山、広い空が広がる素敵なところだが、テント泊では寒い。砂漠の気候は昼暑く、夜寒い。祭りがなかったやりきれなさを抱いて寝るには寒すぎるよ。
「モーリタニア」のVISAは、更新日から1ヶ月間有効なので、ここはピストンで「ティズニット」まで、ピストンヒッチハイク。昼の酷暑で2,3時間待つ。。。車来ず。。。遠くまで見渡せるアスファルト。

「ティズニット」~「グルミン」ここまではヒッチは可能だ、「グルミン」からは警察のチェックがあるからヒッチハイクは「タンタン」までは不可能だと、道端でモーリタニア人に声をかけられる。
「タンタン」から先はインシャラーと。
「ティズニット」からは2分くらいで車に乗った。モロッコ人農業の肥料営業マン。車内のラジオからジョンレノン「イマジン」が流れた。運転手のおじさんが口ずさんでいる。見渡す限りの地平線が車窓に流れる。
平和的な良い瞬間だった。こういう美しい時があるからヒッチハイクは止められない。
旅の瞬間がより濃く刻まれる。

不可能と言われたエリア「グルミン」からマーケットの品揃えが変わった。東南アジアや各国でみた中国製品が山になっている。ここで探していたコイルが見つかった。そして、モーリタニアまで乗せてってくれるドイツ人達に出会った。しかし、彼らはモーリタニアのVISAを取得せずに此処まできてしまったらしく、ラバトへ戻る最中だった。また道中で会おう!
「グルミン」~「タンタン」バスもタクシーも満席で通過。ヒッチしているモロッコ地元人も10人、たしかに不可能というだけある。「親指P」3時間経過。。。車が少なくなってヒッチハイクが難しくなった事がよりサハラ越えを感じる。強い日差しが和らいだ日暮れに車が止まった。奇跡が起きたインシャラーを越えた。

ここから西サハラに突入した。地平線とサバンナの地、突然現れるインフラの整った近代的な町。

「タンタン」~「ライヨンヌ」300kmくらいだったと思う。朝からヒッチするが車無く、地元の人も15人ほどヒッチしている。暑い。グランタクシーが50dhで乗せてくれると交渉、しかし途上で100dh請求される。

「ライヨンヌ」から、モロッコ最南端の町、西サハラメインゲートの「ダフラ」までまだ600kmくらいはある。
ここは先に進みたい。夕方5時半、バスやタクシー乗り場へ歩きに歩いて情報収集。
バスCTM9h、160dh。グランタクシー190dh。
バスなら夜9時半出発、「ライヨンヌ」の人々はとても感じが良い。それまでヒッチしてみようと。
大西洋に沈む夕日、砂漠を照らす夕焼け、アフリカの大地を感じる地平線のサバンナに静けさのみが残る、この中を2台の車を乗り継ぎ、200km先の「ボジュドル」までの車を捕まえた。嬉しさに小躍り。
西サハラ抜けの道は1本しかない。1台乗れれば距離はウンと稼げる。この1台が運。

「ボジュドル」から「ダフラ」まで、残り340kmくらい。
30km乗ったがサバンナのど真ん中でスタックした車を修理に向かった車だったので、我が家もある意味スタック。途中の警察チェックの警察官になんやら言われて、また「ボジュドル」まで引き返す。
ピカピカの片側3車線のデカイ道、しかしほとんど車通らず。。。たまに子供が「オラ~!エスタビエン?」とスペイン語で声かけてくる。フランス植民地領からスペイン領土へ入ったんだな~

朝から5時間、やっとや~~~っと乗せてくれる車が見つかった。
乗った瞬間、怪しいな~と思っていたら、降りるときに金を要求された。
サバンナの途中ではなく、「ダフラ」に着いてからなので交渉もしやすく、相場を知っていたので妥当な金額を支払った。ナポリで10年働いているモロッコ人だった。納得。

僻地感極まる、大西洋につきでる半島。真っ青な海に囲まれている砂漠の地。
ここはモロッコでもない雰囲気。女性も顔も髪も出している。ピザもカフェもある、携帯屋も雑貨屋も何でもある。
キャンピングカーもやはり100台くらいビーチに止まっている。
夜、バックパックを背負って宿探し、道端で警察に訪ねた安宿がWIFI付き。ツイン80dh。
文明の利器は土地を選ばず。


さて、今までのヒッチハイクは、言わば保険が利いていた。
ヒッチが無ければ公共交通機関があると。
ここから「モーリタニア」までの国境越え450kmくらいまでは全く無い。

ここから本番のヒッチハイク開始。

気がつけば「エッサウィラ」から「ダフラ」まで、途中「タフロウト」の寄り道含めて、
トータルで約1600kmをヒッチハイクやら何やらで、毎日移動と待ちぼうけの「親指P」だった。

どうか、この先「モーリタニア」行きのヒッチハイクの車が見つかりますように~

西サハラ越えする車や旅人が集うと言われるキャンプ場「MOUSSAFIR」(部屋あり、ツイン80dh)
ゆっくりキャンプ場でアフリカタイムしながら気長にヒッチの出会いを待ってみよう。



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by laidbacktrip | 2011-03-08 18:10 | モロッコ

「ほぼヒッチ。西サハラ準備へ、カサブランカ&ラバト」

今後の旅のルートは、モロッコから西サハラを越えて「モーリタニア」へ突入、その後は西アフリカへ。

黄熱病予防接種とモーリタニアのVISA取得のためだけに、名前の響きだけはカッコイイ大都市「カサブランカ」と首都「ラバト」
うまくいけば2泊3日ほどのショートトリップ。
「エッサヴィラ」の宿に大きなバックパックを預けて、ディバック一つで都会へおでかけ。


本日の目標「エッサウィラ」~「ラバト」 440km。今日中に到着できれば2泊3日の行程で済む。

ディバック一つはヒッチハイクしやすい。歩くのも楽だ。
「エッサウィラ」のメディナを抜けて、ビーチも越えてテクテク朝から散歩感覚で歩く。
そして、北行きの道が交差しているランダバウドで「親指P」開始。
道もシンプルだし、交通量も多すぎないのでヒッチハイクしやすい。
そして何よりも、モロッコ人は本当に親切で、ヒッチハイクで5分以上待ったためしがないほど。

モロッコ人が5人乗っているワゴンが止まる。
運転手と助手席のモロッコ人はスーツ、後ろの席の3人は普段着。
なんだか楽しそうな車内。
本日一発目で「カサブランカ」行きの車だった!
運転手と助手席の彼らはカーテンの営業マン。後ろの3人は無職付き添い。
仕事でモロッコ国内を旅しているからくっついて来ているらしいのだが、和気藹々、むしろ盛り上げ役の3人に+我が家ずっこ家。

「エッサウィラ」から130KMの「サフィ」に到着。
だが。。。1時間ほどカーテンの営業してくるからと路上駐車で我が家放置プレイ。
次の街でも営業があると言う。。。
ん~今日中に「カサブランカ」からさらに90KM北上した「ラバト」へ行きたいんだけど。。。
このままじゃ夜9時過ぎるなぁ~。。。今夜はモロッコ人の家にホームステイの約束をしているから、遅くなると申し訳ないんだよ。
と相談し、僕らは先を急いでいるから次の街の営業先で降りて違う車をヒッチハイクする事を告げた。

カーテンの営業中、車内で待っていたメンバー、気がつけば新生ずっこ家5人組。
一緒にピーナツ食べたりボォ~としたりして、仲良くなっていた。

結局は次の街の営業が無くなったとかで、直で「カサブランカ」へ行くことに。
なんだかモロッコ人達と一緒に国内旅行しているような状態になり、
魚介と陶器の有名な町「サフィ」では、漁港食堂でモロッコ人に囲まれて、魚と海老のフライ盛り、パン、トマトソースのセットをご馳走になった。
その後、陶器卸センターをウロウロし、彼らは家族へお土産を買っていた。
我が家も、可愛くて興味深いからモロッコの陶器、欲しいけど。。。重くて割れ物だからバックパッカーには不向きだな~と思っていたら、
彼らからその陶器をプレゼントされた。
青い大西洋沿いを直走る。景色を楽しむようにと助手席を譲ってくれた。
恐縮するほど親切してもらった。

「カサブランカ」の手前で日が暮れた。
ハイウエイのサービスエリアで休憩。
彼らは、イスラム教お祈りの時間。(サービスエリアにも駅にもお祈り部屋がある)
「僕らがお祈りしている10分間に「ラバト」行きの車をここでヒッチハイクすると良いよと。
インシャッラー(神が望むなら)」
なんて!スマートなんだろう。なんて!親切なんだろう。
ランチをご馳走になりお土産をくれ、車にも乗せてくれて、別れは神が望むならと。

彼らがお祈りに行っている間に、ここで「親指P」開始。
無視なんて無い、反応が良い。乗せられなくてもジェスチャーしてくる。
人懐こいモロッコ人、しかし車は止まってくれるが「ラバト」行きが見つからない。。。

すると、どこから嗅ぎ付けたかさすがアラブ社会、警察が来る。
此処「カサブランカ」は大都市で犯罪もあるからヒッチハイクは禁止ですと。。。
彼らとの別れは、アッラーが望まなかった。
たしかに警察の言うとおり、もう日も暮れて暗く大都市から首都へのヒッチハイクは不可能だろう。
結局、彼らは「カサブランカ」のバスターミナルまで、車で乗せてってくれた。
「ラバト」行きのバスのチケットまで買うのを手伝ってくれた。
最後の最後まで親切にしてもらった。
彼らの連絡先は無い。また会えるといいなぁ~インシャッラー。

「カサブランカ」~「ラバト」 民営バス1時半(20DH)

結局「ラバト」到着、夜10時。ホームステイ先の人に申し訳ないが連絡してみる。
バスステーションに来てくれたが、今夜は兄弟が集まっているから泊めれないんだよと、言いに来た。
そんなの電話でいいよ。というか、今じゃなくて前日に言ってくれ。インシャッラー。

夜10時から首都で宿探し。。。幸いガイドブックでなんとなく目星をつけていた宿が空いていたので助かった。インシャッラー。


なんとか予定どおりの木曜朝一に「モーリタニア大使館」へVISA申請。
モーリタニア大使館へは、駅から市バス26番。バスターミナルから市バス37番(3.6DH)。メディナからタクシーでメーター15DH程度。
VISA申請書は、アラビア語とフランス語のみ。
西アフリカは殆どフランス語圏。旦那が元パリジェンヌでよかった。インシャッラー。
パスポート。パスポートコピー。証明写真2枚。申請書。340DH。を提出。
8時半くらいに行ったが、終わったのが12時頃だった。
翌日午後2時にVISA受け取りに来いって。インシャッラー。


さてさて。一つの用件が終わった。何とかここまで予定通りだ。

今日の午後は、黄熱病予防接種。
「カサブランカ」にしか予防接種の受けられる病院がないらしい。(15時まで)
「ラバト」~「カサブランカ」へ民営バス(1.5H・20DH)戻る。
「カサブランカ」バスターミナルから「INSTITUT PASTEUR(パストゥール研究所)」までタクシー15分(メーター18DH程度)
受付済ましてそく注射(150DH)でイエローカード取得。
マラリア予防薬も500DHである処方できるらしいです。


これで大都会での用事が済んだ。

後は明日、「ラバト」へ戻ってVISAを受け取るだけ。
折角なのでジュリーが叫んだ「カサブランカ」の大都会で、宿探しするが満室。。。インシャッラー。
仕方ないので、またもや「カサブランカ」から「ラバト」へ、電車で移動。(1h 35DH)
ハイテクで綺麗なシート2階建ての電車、たぶんフランスのお下がり。
「カサブランカ」は、ヨーロッパナイズ社会とアラブ社会、不思議なMIXの街。

「ラバト」で宿探し、昨夜の宿もその周辺もすべて満室。。。インシャッラー。
荷物がディバックだから良いものの、バックパック背負っていたら途中で野垂れ死んでただろう。インシャッラー。
メディナの中は沢山の宿の看板が出ていて、虱潰しに一件一件尋ね、ゴール就寝。


翌日。

今日は午後2時にモーリタニア大使館へVISA受け取り。
それまで朝、スーク(市場)の前でカフェ。
隣の席のモロッコ人は、コーヒーを注文し、もちこんだパンとオリーブオイルで朝ごはん。
「食べる?」と笑顔で勧めてくれる。
写真を撮っていたら、「撮ろうか?」と笑顔で聞いてくる。
都会は人が擦れているのが定義とおもっていたが「ラバト」は人懐こく温厚。

そういえば「カサブランカ」も「ラバト」も、客引きなんていなかった。

午後2時前、
「モーリタニア大使館」すでにVISA待ちの西洋人(フランス人、スペイン人)、アフリカ人、モロッコ人。
VISAを取得したらそのまま車でモーリタニアへ向かうという西洋人たちの車が路上駐車してある。
出来れば、我が家もその車をヒッチハイクしたいのだが、彼らの車は荷物でパンパン。
3時半過ぎに無事VISA取得。


これにて西サハラの準備終了。
後は「エッサウィラ」へ戻るだけ。ここから350km。すでに午後4時。

首都「ラバト」からもヒッチハイクが難しいが、この大使館に車で来ている人々に聞きまくる。
西洋人たちの車は乗ることが出来なかったけれども、何故か「行くぞ~!西サハラ!」と言う共通の目的に連帯感が生まれた。

同じく大使館に来ていた、ブラックアフリカン(マリ人)のメルセデスベンツで、「カサブランカ」まで乗せてもらうことに。
人生初、黒人の運転するベンツをヒッチハイク。
正直言って、ドッキドキよ。
でも、眼の奥が良いヤツを語っていて、実際、バスターミナルまで送ってくれ、最後には日本の漫画で覚えたという日本語の「ありがとう」で、握手して別れた。今でも彼の透き通った眼は忘れられないな~。
やっぱり車内は、ヒップホップがヴィウヴィウ流れていて、彼らのリズム、躍動感と変な自信がついた。

とうとうモーリタニアのVISAを取得した。
いよいよ過酷と言われる西アフリカの旅が始まるんだと、高揚した。

「カサブランカ」は、ヒッチハイク禁止。
また警察に御用になるのは御免なので、無理なくバスで南下し「エルジャディーダ」へ。
今日中に「エッサヴィラ」へは到着しなくても良いんだし、明日は此処からヒッチハイクしようと。インシャッラー。


翌日。
「エッサウィラ」へ向けてヒッチハイク開始。
「エルジャディーダ」は、ポルトガル都市が世界遺産なのだがヨレた人が多い港町で、ヒッチハイクポイントが見つけにくかった。
でも、ここはモロッコ。やはり親切な人がポイントまで乗せてってくれた。


本日2台目。
5kmほどしか乗せられないけど良かったらどうぞ。と言うモロッコ人推定年齢55歳のセダン。
途中、2km先の家にお茶を飲みに来ないかい?との展開。インシャッラー。

実は、ホームステイも出来なかったし、モロッコ人がどんな生活をしているのか見てみたかったので、嬉しい機会だった。
行きにヒッチハイクした彼らが営業しているようなドレープタポタポのカーテン、ゴージャスなソファ、絨毯、韓国製の薄型TV。これでもモロッコ人の中では安い暮らしだそうだ。
この推定年齢55歳のモロッコ人おじさん(現職:教師)は、20年前は旅人だった人らしく、我が家の様子が昔の自分と重なり嬉しかった様子で、
自動車学校に行っている娘や、公園でサッカーをしている息子までもを家に呼びもどし、奥様が作るモロッコ料理代表格のタジン鍋をみんなで戴いた。
これまたヒッチハイクだけの出会いで、とても一見とは思えないほどの親切をしてもらった。

その後、何台か乗り継いで無事「エッサウィラ」に夜到着。
道端で、先日ライブ演奏していた日本人女性&フランス人アーティスト音楽家達とバッタリ遭遇。
そのまま彼らのお宅へ。
ちょうど今夜、モロッコ人グナワ音楽アーティストも集まっていて、ライブセッション。


いや~ 本当に有難い出会いはインシャッラー。



追伸:皆様のコメントが旅の歩を進め彩っております。いつもありがとう!
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by laidbacktrip | 2011-03-01 05:09 | モロッコ